オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

文化人のサロン「志賀直哉旧居」

相方さんの持ちかけで「ふふ奈良」に宿泊することになり、下調べをしていると、お宿から歩いて5分ほどの所に、「志賀直哉旧居」があることを知りました。

 

志賀直哉白樺派ー『暗夜行路』『城の崎にて』・・・

 

遠い昔の学生時代に丸覚えした記憶がありますが、果たして読んだことがあっただろうかと思い、出かける1週間前に、慌ててAmazonで取り寄せました。

 

奈良で書かれたとされる『山科の記憶』や『晩秋』を含む短編が18作品入っていて、

付け焼き刃の即席ながらも、人生の中で志賀直哉の作品に触れることができ、

“やっぱり旅って人生が広がるなぁ〜”なんて思います。

 

「ふふ奈良」から浮見堂のある「鷺池」周辺を散策し、

 

志賀直哉旧居」に向かいました。

 

志賀直哉が自ら設計し、昭和4年から9年間、家族と一緒に過ごした住居です。

 

邸宅のある高畑は、元々は春日大社の社家などがあった場所で、

古い文化と美しい自然が融合した場所だけに、多くの文化人たちが移り住んできたのだそう。

 

旧居の入館料は一人350円。

順路に沿って、2階から見学します。

 

『暗夜行路』を完成させた書斎。

 

客間。窓からは

 

御蓋山(みかさやま)が望め、

 

床の間には、谷崎潤一郎から譲られた観音像が飾られていたそうです。

(これはレプリカのようです)

 

1階には茶室をはじめ、

 

夏場に使用していたとされる書斎のほかに、

 

生活の場が設けられています。

 

こちらは20畳ある食堂で、

 

その先にあるサンルームと繋がり、

 

サロンとして、武者小路実篤をはじめ、当時の文化人たちが集ったようです。

 

お庭も大変素晴らしく、

 

昭和初期の文人たちの生活に思いを馳せながら見学しました。

 

奈良での生活を楽しんでいた志賀直哉ですが、

自分が“時代遅れ”になろうとしていることに気づき、子どもの教育なども考えて、東京に移ったとのこと。

 

その後この邸宅は、米軍に接収されたり、保養施設になったりした後、現在は学校法人のセミナーハウスとして管理されているようです。