「続日本100名城」の「知覧城」は、一説によると、12世紀に築かれたとか。
また、江戸時代に武家集落として設計された街並みは、今なおその面影を残し、「薩摩の小京都」として人気を得ています。
第二次世界大戦中は、特攻基地が置かれたという悲しい歴史もありますし、
最近は、知覧茶が高級茶として人気急上昇だとか。
知覧は、オババノートの“行きたい観光地”にもしっかり記載がある町です。
専門家と一緒に神社を巡る今回のツアーでは、「豊玉姫神社」を訪れた際、武家屋敷群にも立ち寄りましたので、その時の様子を。
江戸時代、薩摩藩は領地を113の地区に分け、外城として、それぞれの地主や領主に統治させていたそうで、知覧もその一つです。
島津家の分家の佐田氏によって治められた知覧城は、1588年に火災で消失して廃城となりますが、知覧城の北方に麓を築きました。
それが武家屋敷群として、昭和56年に、国の伝統的建造物群保存地区に選定されています。
本馬場通りに沿って、美しい石垣と生垣が続いています。
右と左の石垣を見比べて、違いが分かるでしょうか。
左が切石の石垣で、右側が玉石ですよね。
これは、石垣によって、本家/分家など、家の格式を示しているのだそう。
石垣が整っているほど格式が高い家なのだとか。
家の門からは、お城のように枡形になっています。
武家屋敷ならではですね。
現在も子孫の方がお住まいのお宅が多く、協力して景観を維持していらっしゃるそうです。
知覧の武家屋敷群は、お庭が美しいことでも有名ですが、それぞれのお屋敷の庭園のうち、7つが国の名勝に指定され、一般公開されています。
7つの庭園のうち、1つが池泉式で、他の6つが枯山水式です。
池泉式の森重堅庭園です。
雪を被って分かりづらいですが、奇岩怪石を用いて近景の山や半島を現しているそうです。
こちらは佐多直忠庭園。
門をくぐると、屏風岩と言われる切石が、目隠しと防衛の役割をしているのだとか。
母ヶ岳を借景に、中央に立石を配した美しい枯山水のお庭です。
知覧庭園の中では最も広くて豪華だと言われている佐多美舟庭園。
こちらも雪が被って、本来の美しさとは異なるようですが、これはこれで美しいです。
全部の庭園を見ることはできませんでしたが、知覧の武家屋敷の美しさは、十分に感じ取ることができました。