オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

日本100名城「松江城」

次に向かったのは「松江城」。

 

松江城は、関ヶ原の戦いで出雲・隠岐を与えられた堀尾吉晴が1611年に築城し、

「現存12天守」の一つです。

 

大手前から入ると、高さ13mもある

石垣が目に飛び込んできます。

石垣の上には、狭間が設けられていたようです。

 

石垣を見ながら本坂を登っていくと、

ウフッ、分かりますでしょうか?

ハートの形をした石と、そのハートを支える亀の石。

 

三の門跡、二の門跡、一の門跡を通って、

 

本丸に到着しました。

かつての姿を伝える美しい四重五階の天守です。

 

別名「千鳥城」と呼ばれる優美な姿。

でも、美しい雰囲気とは裏腹に、

非常に防御性が高く、戦闘を意識したお城なのだとか。

 

案内してくださったガイドさんが、

“吉晴ラブ”のガイドさんで、情感込めて説明してくださるので、

今回は、いつにも増して興味を持ってしまいました。

 

これは昭和の解体修理の時まで、天守の上に取り付けられていた鯱。

日本最大の木造の鯱だそうです。

 

これは(レプリカの)祈祷札。

元々、祈祷札は別の場所から見つかったそうですが、

札の釘穴と柱の釘穴が完全に一致したことから、

天守の建造年が、祈祷札に書かれていた1611年と確定したのだとか。

 

戦闘を意識して、天守内には井戸や塩蔵が設けられています。

24mもの深さがあったそうです。

 

天守にある308本の柱のうち130本は、

柱を板で覆う「包板」が使われています。

柱を保護すると同時に、不良材の体裁を整えたのだとか。

 

また、308本の柱のうち96本を「通し柱」にすることで、

短い柱を使って柱不足に対処したそうです。

 

石落としは、外から見えない構造になっているそう。

 

「賢いでしょ」「すごいでしょ」と吉晴を絶賛するガイドさんの話を聞きながら、

最上階の5階に到達しました。

 

5階は壁のない構造になっていて、宍道湖から

 

仏山といわれる和久羅山や嵩山まで、

360度の景観を望めます。

 

日本100名城スタンプを押し、

 

御城印を購入しました。