9月に入りましたね。
まだまだ残暑が続くと言われていますが、酷暑の中にも、そろそろ次の季節に移ろうとしているような気配が、空や空気に感じられます。
8月初旬の別府旅行の最後の記事になります。
別府から帰路につく前に、大分市街の中心部にある「大分府内城跡」に立ち寄りました。
「大分府内城」は、1597年、石田三成の妹の夫にあたる福原直高によって、秀吉の命で築城されました。
その時は、望楼型の三重の天守が築かれたそうです。
関ヶ原の戦いの後、竹中重利によって、天守を四重の層塔型にするなどの大改修が行われ、現在の形になったそうです。
その後何人か城主が入れ替わりましたが、1658年から廃藩置県までの200年間、(大給)松平家が支配したようです。
府内城の玄関口である「多聞櫓門(大手門)」。
空襲で消失し、昭和41年に復元されたものだそう。
現在、府内城址は長期間にわたる整備中のようで、
敷地内にある小さなプレハブの建物に資料が展示され、
常駐の職員さんが、詳しく解説してくださいました。
天守は1743年に消失し、その後再建されていないそうですが、
野面積みの天守台はしっかり残っています。
これは西の丸と山里丸を結ぶ廊下橋で、平成7年に復元されたもの。
復元には、古絵図にあった大手門の廊下橋を模したそうです。
多分これが人質櫓です。
1861年に再建されたものですが、江戸時代の建物は、宗門櫓とこの人質櫓のみなのだそう。
本丸の石垣。
東丸の復元された二階櫓。
お城の周りをグルッと周り、
大手門で100名城スタンプを押して帰路につきました。
(御城印の販売はないようです)