今回はちょっと“コスイ”(コスイって方言かしら・・・)投稿です。
というのも、今回の旅程に含まれていたのは、お隣の「玄宮園」だったのです。
ちょっとお城に興味がある(フリをしている?)オババですので、
「玄宮園」散策という旅程を見て、事前に旅行会社に、一人別行動で「彦根城」に行く許可をいただいていました。
ところが当日になって、ツアーが「玄宮園」を散策する前に「彦根博物館」を見学して、帰りに(スタンプがある)「開国記念館」に寄ることを知ると、
ヘナヘナヘナ・・・と、「彦根城」まで登る元気が萎えてしまったのです。
(所詮オババのお城への興味はその程度ということですワ・・・笑)
「彦根城」には、ずいぶん前に一度登城したこともあり、一応それで行ったことにさせてもらって、今回は少し離れて眺めるだけにしました。
ということで、今回は、HPの案内図の右下半分を訪れた形です。
で、彦根城ですが、明治維新の廃城令も戦災も免れた現存12天守の一つ。
国宝に指定されている5城の一つでもあります。
彦根は、信長・秀吉・家康などが拠点とした名古屋から京都への重要な通過地点であり、
山や湖に囲まれ、築城には好都合な地形でもあります。
すぐ近くには、信長の重臣・丹羽長秀や、秀吉の重臣・石田三成が城主となった佐和山城があります。
そして家康が重臣の井伊家に命じて作らせたのがこの彦根城です。
中堀を渡って、佐和口から入ります。
左が二の丸佐和口多聞櫓、右の多聞櫓が現在開国記念館になっています。
(ともに昭和になって再建されたものです)
こちらは馬屋です。
城内に馬屋が残っているのは彦根城だけとのこと。
こんな風に、藩主の馬などが21頭いたそうです。
内堀にかかる表門橋と表門。
(当時は大手門側が正門だったようです)
看板には「ひこにゃん」のスケジュールが書かれていますよ。
こちらが、彦根藩の政庁と藩主の住まいを兼ねた表御殿です。
昭和62年の彦根市市政50周年を記念して、彦根城博物館として復元されました。
建物の中央には、能舞台もあります。
藩主の居室だった「奥向き」には、庭園もあります。
彦根城は、石垣にさまざまな工夫がされていたと言われますが、
今回は、遠くから見るだけ。
目的の「玄宮園」に向かいます。
二度咲きの桜が咲いていました。
日本人ですね。桜が咲いているだけで嬉しくなってしまいます。
「玄宮園」は、4代藩主・井伊直興の下屋敷として建立された「槻御殿」のお庭になります。
現在は、建物部分を「楽々園」、
お庭の部分を「玄宮園」と呼んでいます。
玄宮園は、池水を中心とした回遊式庭園で、
9つの橋がかかり、
船小屋も設けられています。
そして何よりも、ここから見るお城の姿が美しいのです。
もう少しアップしてお城を写します。
変化に富んだ破風が特徴とされる彦根城です。
開国記念館で(前回登城した時分の)100名城スタンプを押して
御城印を購入しました。