オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

日本100名城「福岡城」

そういえば、一番身近なお城のことを書いていなかったわ・・・ということで、今日は「福岡城」についてです。

(写真はHPから)

福岡市民にとって福岡城は、「大濠公園」や「舞鶴公園」といった憩いの場としての要素が強く、あまりお城という認識がないのではないかしら。

 

あくまでも「城址」であって、天守閣もありませんし、入場料も必要ありませんからね。

 

オババも、学生の頃から、梅を見に、桜を見に、ボートに乗りに、お散歩に・・・と数えきれないくらい訪れていますが、お城として認識したのは、お城に興味を持ち始めた最近のように思います。

 

大・中・小の天守台に、47基の櫓、10棟の城門に、24万m2もの縄張り・・と、全国でも有数の規模だったと言います。

 

「多聞櫓」は、移築されずに、唯一当時と同じ場所に残された櫓だとか。

2層の隅櫓と54mもの平櫓から成ります。

 

2008年に復元された「下之橋御門」と1956年に移築された「(伝)潮見櫓」。

(伝)が付けられているのは、「潮見櫓」と思って移築したら、最近の調査で、別の建物が潮見櫓だと分かったからですって。

 

天守台は大・中・小と3つあり、建物があったことは確認されていますが、天守閣があったかどうかは定かではありません。

(写真はHPから)

幕府に遠慮して天守閣は作らなかったとか、幕府への配慮から築城して10年ほどで解体したとか言われています。

 

これは「名島門」。

福岡藩初代藩主の黒田長政は、福岡城を築城する前に、東区の名島に居を構えていて、お屋敷の門として使われていたものが移築されています。

 

近くの西公園には、黒田官兵衛・長政親子を祀った「光雲(てるも)神社」があります。

 

御城印と、

 

100名城スタンプです。

 

でも、やっぱり福岡市民にとって福岡城は、お城というよりは“憩いの場”です。

 

外堀の一部を中心に整備された大濠公園

 

本丸跡を中心に整備された舞鶴公園を含め、

2014年には「セントラルパーク構想」なるものが策定され、福岡城址一帯は、大きく変わりつつあります。

さらに今後10年以上をかけて、広大なミュージアム空間になるような公園づくりをしていくようです。