五島での2日目は、ツアーを離れての単独行動をしました。
オババにとっては、小型船で島々を巡って教会を訪れるよりも、せっかく五島まで来たのですから、「福江城」に行っておきたかったのです。
ホテルにタクシーの手配をお願いすると、誤って観光タクシーが手配されていました。
せっかくなので、運転手さんに周辺を案内してもらいながら、一緒に福江城を観光し、海岸線を通ってホテルまで送ってもらいました。
「福江城」は、“江戸時代最末期に完成した海城”として知られています。
福江藩は、藩主の五島氏の居城であった江川城が火災で焼失したのち、
何度も幕府に築城許可を願い出ていましたが許されませんでした。
ところが幕末になって、外国船の来航が盛んになると、
防衛の面から、慌てて築城許可が出されたというわけです。
防衛目的であった「福江城」は、日本で唯一、三方を海で囲まれた海城だったとのことです。
しかも1863年の完成ということで、日本で最も新しいお城だとも言われています。
ねっ、ツアーの教会巡りよりも行ってみたかったというのも納得でしょ。
ようやく完成した福江城でしたが、まもなく明治を迎え、あの廃城令によって、わずか9年で解体されてしまいます。
現在は、裏門であった「蹴出門」と、
石垣などが残っています。
現在本丸跡は、県立五島高校の敷地になっています。
本来、高校の敷地内には入れませんが、タクシーだから大丈夫ということで、敷地内に入り、車内からこちらの写真だけ撮らせてもらいました。
二の丸跡には、福江城を築城した第30代藩主の隠居処が建てられ、
「五島氏庭園」として、当時のままの姿で保存されています。
心字池を中心にした庭園があるお屋敷で、
グルッと池の周りを散策することができます。
野面積みの石垣や、
本丸に通じる門が遺っています。
非常時に城外に脱出するための抜け穴も
複数設けられていました。
池の左奥に建物が見えてますが、
文化会館の建物で、当時は海に建つ「北の丸」があった場所で、櫓ではなく砲台が設けられていたのだそうです。
お庭の散策が終わると、
係の方がお屋敷の中を案内してくださいます。
こちらは公式な接客の間だそうですが、びっくりしたのは壁紙です。
「氷割れに雪花」の模様だそうで、
モダンなお殿様だったのですね。
こちらの「梅の間」の壁紙もオシャレです。
お殿様の居室だったそうで、
このお部屋から眺めるお庭が一番美しいのだとか。
お屋敷の中にも、隠れ部屋であったり、逃げ道が準備されているようです。
係の方が詳しく説明してくださり、楽しく見学することができました。
続100名城スタンプも、こちらの「五島氏庭園」にあります。
残念ながら御城印はないようです。
「五島氏庭園」を出て、2つ目の信号の通りが「武家屋敷通り」として、当時の面影を残しています。
石垣の上に「こぼれ石」があるのが特徴です。
現在はこぼれないように接着しているそうですが、
侵入してきた時には崩れて音がなり、必要に応じて武器にもなるのだそう。
武家屋敷通りは、翌日にツアーでも立ち寄りましたので、また次回書きたいと思います。