オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

“但馬の小京都” 出石 と 続日本100名城「出石城」

今回の城崎温泉旅行は、相方さんがサプライズで、豊岡の後輩の事業所を訪問するのが一番の目的でした。

2日目、無事その相方さんの目的を達成し、その後、今度はオババの目的の「出石城」に向かいました。

 

出石城」は、山頂の「有子山城」とセットで、続日本100名城に選定されています。

 

室町時代に、守護大名の山名氏によって、標高321mの有子山山頂に「有子山城」が築城されました。

織田軍によって落城した後は、織田系の城主が入ってきますが、

江戸時代に、小出氏によって有子山の麓に「出石城」が築城されると、「有子山城」は廃城となります。

出石城」には、1706年から明治維新まで、仙石氏が入封しています。

 

・・・と、そういうわけで、「有子山城」と「出石城」がセットになっているのですね。

 

出石城の築城とともに城下町が整備され、現在も「但馬の小京都」とよばれる風情ある街並みが残っています。

 

 

大手門脇の櫓台に建つ辰鼓楼(しんころう)。

これは明治14年に、大病を患った藩医から寄贈されたもので、日本最古年の時計台として、街のシンボルになっています。

現在3代目とのことです。

 

この辰鼓楼の左奥にある山の山頂をジ〜ッと見つめてください・・・何かありそうに見えるでしょ。

それが「有子山城」の城壁です・・・って分かるかなぁ。

 

辰鼓楼を先に進み、

谷山川にかかる登城橋と、

 

その先にある登城門。

どちらも平成6年に復元されました。

 

階段を登ると、二の丸の石垣があり、

 

さらに上に登った本丸跡に西隅櫓が建っています。

このように「出石城」は、本丸から三の丸までが、山の麓に階段状にあります。

 

西隅櫓は本来は存在しなかったそうです。

 

ですが、こちらの東隅櫓と一緒に、昭和43年に復元されました。

 

本丸を東に抜けると、出石城の鎮守社である「有子山稲荷」に続く鳥居が連なっています。

 

根性なしのオババは登ることなく下ります。

すると、何かしら“気”を感じる神社の境内に出てきました。

 

諸杉神社というそうです。

 

御祭神は、但馬の開祖と言われる天日槍(あめのひぼし)の嫡子だそうで、『古事記』や『日本書紀』にも記載があるそうです。

有子山城や出石城の城主からも厚く信仰されたのだそう。

 

さて、「有子山城」への道のりは、かなり厳しいとのことですので、最初から登城する予定はなく、この後は城下町を散策しました。

 

で、出石といえば、やっぱりお蕎麦を食べておかなくてはですね。

(お蕎麦屋さんは50軒ほどあるそうです)

 

豊岡からのタクシーの運転手さんオススメの「近又」に行ってみました。

 

出石蕎麦は、国替で信州上田から仙石氏が城入りした時、一緒に蕎麦職人を連れてきたのが始まりだとか。

出石焼の小皿に小分けされ、5枚1組で1人前というのが特徴です。

 

お店の方によると、まずはそのまま、次にお塩で、そしてオツユをつけて、あとはお好みで薬味や山芋、卵と一緒にということでした。

 

「挽きたて」「打ち立て」「茹がきたて」が信条だそうですが、久しぶりに蕎麦の香りを感じる美味しいお蕎麦をいただきました。

 

城崎温泉から出石までは、行きは楽して、豊岡経由でタクシーを利用しましたが、

帰りは1日1本(土日は3本)、出石から城崎温泉までの直通バスがあるとのことで、

バスの時間まで、

 

桂小五郎が身を隠していた住居跡地や、

 

家老屋敷などに立ち寄りながら、

 

“但馬の小京都”と言われる城下町の風情ある街並みを楽しみました。

 

観光センターで、続100名城スタンプを押し、

 

出石城」と(下から見上げただけの)「有子山城」の御城印を購入しました。