臼杵から、さらに20kmほど南に下ると佐伯です。
九州人のオババですが、今回の旅行で初めて、佐伯が“サエキ”ではなく“サイキ”だと知りました。
佐伯城は、関ヶ原の戦いで2万石を与えられた毛利高政によって、1606年に築かれました。
標高144mの八幡山の山頂に築かれた総石垣の山城です。
3重の天守に、2重櫓が5基ありましたが、1617年に本丸と天守が消失し、その後天守は再建されなかったそうです。
(佐伯市のHPからお借りしました)
1637年、3代藩主の高尚の時に、麓に三の丸が増築され、居館になったとのこと。
以後藩政の場が山頂から麓の三の丸に移されます。
これは1832年に改築された三の丸櫓門です。
で、この門から右上方にグググ〜っと見上げた山の頂上に、天守があったようです。
なんと言っても山城ですからね。
再び佐伯市のHPからお借りしたものですが、
そう。天守台までは“登山”なのです。
登山道は4コースあるようで、三の丸から入った「登城の道」が、かつて使用された道なのだそうです。
片道20分ほどとのことですが、汗を拭きながらハァハァ言って降りて来られた方にお話を伺うと、前日の雨で非常に滑りやすかったとのこと。
ということで、軟弱者のオババたちは、三の丸櫓門や、
周囲の石垣を見ただけで登らずじまい。
またもや、ここまで来ておきながら、山頂を見上げただけでした。
三の丸櫓門の前にある佐伯市歴史資料館で
スタンプを押し、
その横に設置された13代当主毛利高範の屋敷「毛利家御居間」を拝見。
三の丸櫓門からのお城沿いの通りは、石垣の白い壁が連なり、
風情のある武家屋敷街になっています。
この通りに、国木田独歩館があります。
国木田独歩は、英語教師として佐伯に来ています。
この屋敷は、国木田独歩が下宿していた坂本邸で、元々は11代藩主毛利高泰の別荘だったとか。
坂本家は、藩の重臣の家系だったそうです。
同じ通りに佐伯市の「城下町観光交流館」があり、こちらで御城印を購入しました。
観光交流館は、かつての旅館を交流や観光情報発信の場として解放しています。
御城印を購入して喫茶室でひと休みしようとしたら、マンホールカードをくださいました。
旅先で、マンホールの写真を撮っていらっしゃる方がいるのは知っていましたが、
こういうカードもあるのですね。