オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

恋のパワースポット「青島神社」

日南海岸の出発点ともいえる青島。

周囲1.5kmほどの小さな島で、島全体が「青島神社」の境内地となっています。

 

島へと続く弥生橋を渡ります。

 

この辺りから、左右に壮大な光景が広がっています。

 

「鬼の洗濯板」といわれる波状岩です。

 

ブラタモリ』によると、650万年ほど前に、地上で繰り返し洪水が起こって、海底に大量の土砂が流入し、比重の違いで、砂岩と泥岩の地層ができたのだそう。

それが100万年前頃に陸側が隆起し、水面に出た地層を波が侵食して、このような姿になったのだとか。

自然が生み出した芸術品ですね。

国の天然記念物に指定されています。

 

鳥居をくぐって

 

拝殿に向かいます。

 

青島神社は、海幸山幸伝説の山幸彦が、海神の宮から戻った時の宮跡だといわれ、

山幸彦である彦火火出見命ヒコホホデミノミコト)と

妻の豊玉姫命トヨタマヒメノミコト)=海神の娘、

山幸彦を海神の宮に導いたとされる塩筒大神(シオヅツノオオカミ)の三神が祀られています。

 

本殿の右手の門を進むと、

 

ビロウという細いヤシが生い茂っています。

北半球最北の亜熱帯性植物の群落だそうで、国の特別天然記念物に指定されています。

 

このジャングルの奥に、青島神社の「本宮」があります。

 

山幸彦は、塩筒大神によって海神の宮に導かれ、海神の娘の豊玉姫に出会い、この地で暮らしたということから、青島神社は縁結びのご利益があるとされています。

それに加えて、鬼の洗濯板に囲まれ、亜熱帯植物が生い茂る環境から、

“恋のパワースポット”として人気があるそうですよ。

 

御朱印を頂戴しました。

 

天孫降臨の高千穂峰「霧島神宮」

今回の旅では、「霧島神宮」「宮崎神宮」「鵜戸神宮」という3つの“神宮”を参拝しました。

今回は、天孫降臨から豊玉姫命と山幸彦を中心に、初代天皇神武天皇までを巡る旅です。

 

もう一度、この略図をアップしておきますね。

 

そもそも、“神宮”という社号は、天皇家やその祖先神、天皇家と縁のある神器や神を祀っている神社につけられますので、今回参拝した神社に、3つもの“神宮”が含まれたというわけです。

 

わざわざオババが説明をしなくても、そんなの常識!と思う方も多いとは思いますが、

 

天孫降臨”の“天孫”とは、天照大御神の孫である瓊瓊杵尊ニニギノミコト)のことです。

 

正式なお名前は、天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(アメニギシクニニギシアマツヒダカヒコホノニニギノミコト)とおっしゃいます。

長い名前ランキングに出てきそうなお名前ですが、「太陽の恵みを受けて稲穂がにぎにぎしく豊かに実る」という意味なのだそう。

 

で、その瓊瓊杵尊が、神々の世界から降臨なさった場所というのが、昨年訪れた高千穂町であるという説と、高千穂峰(=霧島山)であるという説があるのです。

 

ということで、昨年の「高千穂神社」に続いて、今年は「霧島神宮」を参拝しました。

 

霧島神宮」の御祭神は、もちろん、天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊です。

フ〜、本当に舌を噛みそうな長いお名前ですワ。

 

元々は、瓊瓊杵尊が降臨なさったとされる霧島山中に社殿があったそうですが、

噴火によって何度も消失し、

今から300年ほど前に、薩摩藩主の島津吉貴によって、現在の社殿が建てられたそうです。

 

三の鳥居の側にある「さざれ石」。

 

境内にあるこちらの木が、パワースポットとして話題になっているそうですよ。

 

というのも、

幹にあるコブのような部分をアップしてみますね・・・

ネッ、小さな神様がいらっしゃるでしょ。

 

・・・というのは余談ですが、

 

島津吉貴によって造営された本殿・幣殿・拝殿は、昨年、国宝に指定されていて、

残念ながら内部は見ることができませんでしたが、

この勅使殿からも分かるように、

 

「西の日光」と言われるくらい、内側の装飾も非常に豪華なものだそうです。

 

なんとか垣間見ることはできないかと、横から覗き込んでみると、

 

残念ながら、装飾はわかりませんでしたが、

朱塗りの登廊下を見ることができました。

 

この登廊下でお分かりのように、勅使殿から拝殿、本殿と、順に高い位置に建てられているため、

 

正面から見ると、屋根の重なりがとても美しいです。

 

御朱印を頂戴しました。

書的にも美しい御朱印です。

 

知覧の「豊玉姫神社」

知覧を訪れた本来の目的は、「豊玉姫神社」への参拝です。

 

先日アップした神様の系図を覚えていらっしゃいますでしょうか。

これです。

 

豊玉姫神社」の御祭神は、主祭神が「豊玉姫命トヨタマヒメノミコト)」、山幸彦の奥方です。

その他の御祭神に

山幸彦である「彦火火出見命ヒコホホデミノミコト)」

豊玉姫のお父様である「豊玉彦命トヨタマヒコノミコト)=ワタツミノオオカミ」

豊玉姫の妹の「玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)」がいらっしゃいます。

 

さらにややこしいことを言うと、

山幸彦(=彦火火出見尊)と豊玉姫の子供(鸕鷀草葺不合尊)の奥方が豊玉姫の妹の玉依姫で、二人の間の子供が神武天皇なのです。

 

豊玉姫は知覧を治めたとされ、だからこそ知覧に「豊玉姫神社」があるのですが、

伝説によると、本当は妹の玉依姫が知覧を治め、豊玉姫は川辺という地域を治めるはずだったのです。

ところが、豊玉姫が治めるはずだった川辺が、水田に富むということを玉依姫が知り、抜け駆けして先に川辺に行ってしまったので、仕方なく、本来玉依姫が治めるはずだった知覧に豊玉姫が入ったのだそう。

 

イヤ〜、神様の系図や、こういう伝説を知ると、面白いですよね。

オババが神社に興味を持つのも分かりますでしょ。

 

で、豊玉姫神社の拝殿がこちら。

 

横から御本殿を覗き見たのですが、右奥の少し見えるのが御本殿です。

 

ご利益は、豊玉姫命が非常に美しくて、安産で御子をお産みになられたということで、お参りすると、安産で“美形”の子を産むのだそう。

また、豊玉姫の父神(豊玉彦命=ワタツミノオオカミ)が海の神様ですので、航海安全や大漁のご利益があるとされています。

 

御朱印をいただきました。

隷書風の風雅な御朱印です。

 

 

琵琶湖に浮かぶ神秘の島「竹生島」

年末年始を琵琶湖北部の「ロテル・デュ・ラク」で過ごし、

パワースポットとして名高い神秘の島竹生島」に、初詣に出かけました。

すでに2月に突入しているのに、今さら初詣の記事??という感じではありますが、お許しくださいね。

 

竹生島は、琵琶湖北部にある周囲2kmの島です。

奈良時代行基が弁財天像を安置し、神仏習合の時代を経て、“神様の棲む島”とも言われているようです。

 

竹生島へは、長浜港と今津港から船が出ていて、それぞれ30分程度で渡ることができます。

オババたちは、今津港から乗船して、長浜港行きで帰りました。

 

湖だから穏やかかと思いきや、結構お天気に左右されるようで、この日も以後の波が気になるとかで、慌てて早めの出港でした。

お陰で完全な貸切状態・・ある意味ラッキーでした。

 

竹生港に到着すると、165段もの階段がお出迎え。

「祈りの階段」というそうです。

 

竹生島は1つの大きな花崗岩からできているそうで、切り立った崖にお寺や神社が建てられています。

お城や神社だけでなく、観光にも年齢制限を感じつつ、なんとか165段の階段を登りきりましたぁ。

 

階段を登りきったところに、宝厳寺があります。

 

聖武天皇の夢枕に天照皇大神が現れ、寺院の建立を告げたのだそう。

そこで僧の行基に命じて、724年に弁財天像を安置したのが始まりなのだとか。

江ノ島神社」や宮島の「厳島神社」とともに「日本三弁財天」とよばれ、その中でも最も古い建立です。

 

三重塔。

江戸時代初期に焼失し、2000年に再建されたそうです。

 

国宝の「唐門」。

大阪城から移築されたとされ、秀吉時代の大阪城の唯一の現存建物だとか。

 

舟廊下。

豊臣秀吉の「日本丸」の一部が利用されているそうです。

 

その先には「都久夫須麻(竹生島)神社」があります。

御本殿は、伏見桃山城から移転されたとされ、こちらも国宝に指定されています。

 

拝殿からは「からわけ投げ」ができ、こちらの鳥居の間をくぐり抜けたら願いごとが成就するのだとか。

 

今年最初の御朱印を頂戴しました。

 

琵琶湖に浮かぶ小さな島「竹生島」は、歴史が詰まったパワースポットでした。

 

一面雲に覆われ、島に渡るのも危ぶまれたお天気でしたが、

初詣を済ませ、最終便で長浜港に向かう時には、雲の合間から、美しい夕陽を見ることができました。

今年もきっと佳い年になりそう!!

近江国一宮「建部大社」

京都駅から最初に向かったのは、滋賀県大津市にある近江国一宮「建部大社(たけべたいしゃ)」です。

 

日本武尊ヤマトタケルノミコト)が祀られているお社です。

 

平家に捕らわれた源頼朝が、伊豆に向かう途中に立ち寄り、源氏の再興を祈願したことから、

出世開運や除災厄除のご利益があるそうです。

 

ところで、ここで神社の基本の「き」。

 

一宮とは何ぞや?ということですが、これは、平安時代後期に確立したとされる神社の格付け(社格)です。

平安時代には、“官幣社”だの“国幣社”だの、国の管理下(保護)に置かれていた神社も多く、いろいろと細かく格付けされていたのですよね。

国司が派遣されていた国では、国司が領内の神社を一宮・・二宮・・三宮・・・の順番で巡拝していたのだとか。

このような国家的な体制は、戦後GHQによって解体され、現在は民間の宗教法人として組織化されています。

 

で、近江国の神社の中で、一番格式が高かったのが「建部大社」だったということです。

 

日本最初の千円紙幣には、建部大社の本殿と日本武尊肖像画が描かれたのですって。

でも、発行された期間が非常に短かったので、“幻の紙幣”になっているそうです。

 

趣のある神門をくぐると、

 

まず目に飛び込むのが、一夜にして成長したと伝わる御神木の三本杉。

樹齢1200年を超えるそうです。

 

拝殿でお参りをします。

奥に本殿と権殿(御祭神:大己貴命大国主神)が並んでいます。

 

あと数時間もすれば、境内は、初詣に訪れる人々で溢れかえると思われます。

その数時間前の大晦日の昼下がりはとっても静かで、神聖な雰囲気を感じながら参拝ができました。

 

裏手に周り、御本殿の塀の中を覗き込むと、

天然記念物の菊花石。

(塀の隙間から写していますので、構図が悪いですが)

彫刻したかのような美しい石です。

 

その隣には、さざれ石。

小さな石が集まって、歌詞のとおりに「巌(いわお)となりて」・・・ですね。

 

建部大社は、相殿に天照皇大神が祀られています

 

宝物殿も見学させてもらいました。

春の例大祭や夏の船幸祭で使われる御神輿のようです。

 

「建部大社」の御朱印をいただきました。

 

本殿の高さ日本一の「出雲大社」

2日目の観光は「出雲大社」。

神社に興味を持って以来、もう一度訪れたいと思っていた場所です。

 

ブラタモリ」でも、平安時代まであったとされる48mもの本殿について語られていましたが、1744年に造営された現在の本殿も、24mと日本一の高さがあります。

 

というのも、御祭神の大国主大神が、国譲りの時に、天照大神に「千木が空高くまで届く宮」を求めたからだと言います。

 

出雲大社で出迎えてくださったガイドさんの説明で、勢溜(せいだまり)の鳥居からスタートします。

大勢の参拝客が溜まることから“勢溜”と言われるようになったそうで、二の鳥居にあたるこの鳥居は鋼製。

本殿に続く四つの鳥居は、すべて素材が異なるのだそう。

 

後ろを振り向くと、神門通りの奥に、一の鳥居である宇迦橋の大鳥居(現在工事中)がありますが、神門通りもこの大鳥居も、大正時代にできた新しいもの・・・と、ブラタモリでも言っていました。

 

勢溜の鳥居からの参道は、ゆるやかな下り坂になっていて、参道が下っているのはとても珍しいのだとか。

 

三の鳥居である松の参道の鳥居は鉄製。

 

そして神域の正門に建つ四の鳥居は銅鳥居。

1666年に造られたもので、銅製の鳥居としては最も古いそうです。

 

拝殿。

1959年に再建されたものだそうです。

拝殿の名のとおり、普通はこちらでお参りをするのですが、

 

今回のツアーでは、拝殿の裏にある八足門の奥に入れていただいて、

垣の内側の御本殿に近い場所でお祓いを受けることができました。

 

これは、平安時代まであったとされる48mの御本殿の柱根が見つかった場所です。

直径1.35mの巨木3本を束ねて柱にしていたとされ、平成12年に発掘されるまでは、記録に記されている48mもの高さは、当時の技術では無理だとされていました。

「本殿」は、大国主大神のお后が祀られている「御向社」や、大国主大神を助けた二女神が祀られている「天前社」と一緒に建てられています。

 

御本殿の東側と西側には、それぞれ「十九社」があります。

旧暦10月に、日本中の神様が集まる時に、神様がお泊まりになられる場所。

ブラタモリでは、“神様のホテル”と言っていました。

 

本殿の裏手には、素戔嗚尊が祀られている「素鵞社(そがのやしろ)」があります。

神仏習合の時代には、素戔嗚尊が、出雲大社の御祭神だった時もあるのだそう。

 

御本殿をぐるっと回って西側に来ました。

ここに書かれているように、御本殿の正面は南向きですが、殿内の御神座は西向きなのだそう。

ですので、ここが御神座の正面とのことです。

 

こちらは、神楽殿のしめ縄。

拝殿のしめ縄も立派でしたが、はるかに大きなしめ縄です。

 

出雲大社の婚礼は、こちらの神楽殿で行われますが、高円宮典子様は、拝殿で行われたそうです。

 

御朱印を頂戴しました。

 

海の守り神「住吉大社」

ホテルをチェックアウトする時に、キャリーケースを宅配で送って身軽になり、新幹線に乗る前に、住吉大社に行って来ました。

 

南海本線住吉大社駅を降りると目の前です。

 

「大社」というのは、全国に数多くある同名神社の宗社につけられる号ですが、「住吉大社」は、全国に2,300ある住吉神社の総本社です。

 

平安時代に選ばれた「二十二社」の「中七社」の一つでもあり、歴史のある格式高い神社です。

 

御祭神は、イザナギノミコトが、黄泉の国から戻って禊ぎをした時に、海から現れた三柱の神様と、神功皇后です。

 

三柱の神様は、住吉大神と総称されますが、海の底から現れた底筒男命(ソコツツノオノミコト)、中から現れた中筒男命(ナカツツノオノミコト)、表から現れた表筒男命(ウワツツノオノミコト)の三神です。

 

かつて、すぐ近くまでが海だったとのことで、大陸までの船もここから出ていて、

 

遣唐使の派遣の際などでは、公的参拝がなされたのだそう。

 

大鳥居をくぐると、美しい反橋がかかっています。

 

この橋の石製の橋脚は、淀君が奉納したと伝えられています。

 

それにしても、この反橋の階段は、急で怖いわ。

 

境内に入ると、それぞれの御祭神を祀る4つの御本殿が、綺麗に並んでいます。

 

パンフレットの境内図で分かるように、

住吉大神を祀る第一本宮から第三本宮が、まっすぐ直列に並び、

表筒男命を祀る第三本宮と神功皇后を祀る第四本宮が、並列に並んでいます。

 

御本殿は、「住吉造」と言われるもの。

 

千木は外削ぎですね。

 

参拝の順番に決まりはないそうですが、奥の第一本宮から、一つひとつお参りをして、

 

御朱印を頂戴しました。

書き置きですが、今月限定の刺繍入りを頂戴しました。