お宿の女将さんに、車が見えなくなるまで見送られ、
指宿から人吉に向けて出発しました。
人吉城跡までは約140km。
途中、道の駅などで休憩しながら、人吉城跡に到着しました。
鎌倉時代に源頼朝の命によって、相良氏が治めるようになります。
関ヶ原の戦いでは、途中で東軍に寝返って、家康からも領地を安堵されました。
35代670年間もの長〜い間、同じ場所で、同じ一族の領主に治められたのは、非常に珍しいようです。
球磨川と胸川の合流地点の小高い丘に造られ、
川を掘に、山の斜面や崖を城壁に、自然を活かしたお城です。
お宿から撮った写真だと、なんとなく雰囲気が伝わりますでしょうか。
「人吉城」と言って必ず出てくるのが「はね出し」です。
石垣の上がはね出していますよね。
江戸末期の大火の後に造られたものだそうで、
西洋建築の技術が使われた非常に珍しいもののようです。
防火の役割もありますが、
真下から見るとこんな感じで、
これじゃ登れませんよね。
武者返しの役割があります。
城主の館の北口である「堀合門」。
船着場に作られた「水ノ手門跡」。
長堀は、平成になって復元されたものです。
ここが「御下門跡」ですね。
お城の中心である本丸や二の丸、三の丸への唯一の登城口です。
頑張って登りますよ〜。
ウ〜ン、平山城とはいえ、膝の悪いオババには大変です。
行く手を曲げて、攻めにくい造りになっていますね。
お城の中心だった「二の丸」です。
6棟の建物があったそうです。
この先が「三の丸」ですね。
「球磨川」も見渡せます。
ちなみに、先ほどお宿から見た人吉城の写真を載せましたが、
これが人吉城から見たお宿です。
さらに登りますね。
「本丸」に到着しました〜。
本丸からの景色です。
かつて武家屋敷があった場所は、
「ふるさと歴史の広場」として、人吉市民の憩いの場になっています。
この日も、小学校が遠足で来ていました。
100名城スタンプをゲットしました。