オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

日本で唯一の建築様式をもつ「香椎宮」

久しぶりに神社の投稿です。

昨年末に、福岡市東区にある「香椎宮」に行って来ました。

自宅から車で2〜30分ほどの場所にあるのに、

参拝するのは初めてです。

 

香椎宮」には、八幡神と同一とされる「応神天皇」の

ご両親の「仲哀天皇」と「神功皇后」が祀られています。

 

ご夫妻は、熊襲征伐の時に、香椎に仮宮を置いていたそうです。

神功皇后は、この地で亡くなった仲哀天皇の霊をここに祀り、

その500年後に、皇后の神託で、お二人の「香椎廟」が創建されたのが

香椎宮の始まりだとか。

 

二の鳥居をくぐるとしょうぶ池があり、

5月には花菖蒲が美しいそうです。

 

威厳のある楼門。

 

菊の御紋をくぐると

 

御神木の綾杉。

 

はみ出した部分だけでも巨木で、

 

とても私のカメラでは全体像が写せませんので、HPからお借りしますと、こんな姿です。

少しはスゴサが伝わるかしら。

 

拝殿に向かいます。

 

拝殿の先にあるこちらの御本殿は、

724年に建立されたものを1801年に再建したものですが、

実は、「香椎造」と言われる日本でただ一つの建築様式なのです。

 

なんといっても神様がいらっしゃる場所ですから、

気軽に見えないようになっていますが、こういう造りです。

 

離れてからだと少しは分かりますね。

 

せっかくですので、古宮にも行ってみましょう。

 

地名の由来ともなった御神木の「香椎」の木です。

 

見上げると神々しいです。

 

そして、かつて仲哀天皇の御霊が祀られていた場所。

大正4年まで、ここに祀られていたそうです。

香椎宮は、全国に16社ある勅祭社(=祭祀の時に天皇から勅使が遣わされる神社)の一つでもあります。

 

御朱印を頂戴しました。

 

すべての願いが叶う「四柱(よはしら)神社」

このブログ「オババのトラベルジャーナル」では、オババが訪れた宿やレストランを中心に、お城や神社の要素を加えて投稿しています。

 

ただ、お城や神社というのは、日本全国に万単位で存在しますので、ある程度基準を設けて、

お城は、「100名城」や「続100名城」に選定されているものや、

小京都と呼ばれる城下町に限定して投稿していますし、

 

神社は、オババの愛読書の

に出てくる神社を中心に書いています。

その中でも特に興味を持っているのは『古事記』や『日本書紀』に登場する神々を祀った神社です。

 

・・・と前置きしたところで、

 

前回投稿したお蕎麦屋さん「こばやし 本店」は、「四柱神社」の境内と接した場所にあり、

昼食後の集合時間までに時間がありましたので、参拝してきました。

 

四柱神社」の創建は明治と新しく、上記2冊の本にも取り上げられていませんし、オババも訪れるまでその存在も知りませんでしたが、

祀られているのが、この四柱の神様というではありませんか。

 

神話の中では、イザナキノミコトとイザナミノミコトによって日本が創られましたが、

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」は、日本が創られるはるか前、天上界に初めて現れた神様なのです。

つまり、日本の神話の中では、「天之御中主神」から世界が始まります。

 

天之御中主神」の次に現れたのが、

万物生成の神と言われる「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」と「神皇産霊神(かみむすびのかみ)」で、

 

日本神話では、この三柱によって世界の素ができたことになっています。

 

この三柱に、日本人の総氏神である「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を加えた四柱が、この神社には祀られているのです。

 

世界創生の最強の神々が祀られていますから、すべての願いが叶うそうです。

 

「こばやし 本店」を出たところに、「縁結びの松」があります。

 

二本の松が、根元で繋がっています。

 

「若返りの水」なんていうのもありますよ。

 

こちらが正面です。

 

拝殿です。

 

またまたバチ当たりのオババは、拝殿横から本殿をのぞいてみました。

神様がいらっしゃるお社は・・・と興味津々なのですよね。

 

御朱印を頂戴しました。

 

境内を出ると、女鳥羽川沿いに、長屋風の店舗が連なった「縄手通り」が延びています。

 

「カエルの街」なのだそうで、

 

このオブジェが「カエル大明神」のようです。

 

 

瀧山寺の境内に創建された「瀧山(たきさん)東照宮」

徳川家康駿府城で亡くなりますが、

死後「東照大権現」として神格化されます。

 

ご存じのとおり、徳川家康東照大権現)が祀られているのが東照宮です。

徳川家と縁のある大名がこぞって造営したため、

当時は、全国に500とも700とも言われる東照宮が造られたそうです。

 

家康の遺言で、遺体は久能山に葬られ、一周忌が過ぎてから日光に移されます(遺体は移されなかったという説もあります)。

日光に「日光東照宮」と静岡の久能山に「久能山東照宮」が建てられ、豪華絢爛な社殿として、今なお世界中の人々を魅了しています。

 

数多建てられた東照宮の中で、日光と久能山東照宮が二大東照宮であることに異論を唱える人はいませんが、

三大東照宮は・・となると、名乗る東照宮はいくつかあって、

今回訪れた「瀧山東照宮」もその三大東照宮を名乗る社殿の一つとなっています。

 

この「瀧山東照宮」は、1646年、三代将軍家光によって、家康の生誕地である岡崎に創建されました。

岡崎城から見て鬼門に位置するため、鬼門封じの意味も込めて、瀧山寺の境内に建てられたといいます。

 

・・・と、”三大”にふさわしい謂れの神社です。

小さいながらも、多くの建造物が、国の重要文化財に指定されています。

 

この石鳥居は1645年に造られていて、国指定重要文化財

 

拝殿も国指定重要文化財です。

 

細部にわたって細やかで、色彩豊かな建造物ですが、

 

御本殿や幣殿を含めて、来年まで修復工事が行われています。

 

こちらの石灯籠は64基あるそうで、当時の諸大名によって奉納されたものだとか。

 

明治の神仏分離で分けられたものの、瀧山寺の境内に造営され、まさに神仏習合

こちらがすぐ隣にある瀧山寺です。

 

オババのトラベルジャーナルでは、お寺は取り上げないことにしていますので、詳細は省きますが、

瀧山寺の宝仏殿には、運慶・湛慶作の聖観音立像・帝釈天立像・梵天立像や、

光の陰影で表情を変える観音像などがあり、

ユニークな住職さんの説明で、楽しく拝観しました。

 

山東照宮の御朱印を頂戴しました。

 

初代天皇の宮跡に佇む「橿原神宮」

昨年春は、宗像大社に始まり、天岩戸神社天安河原宮、槵觸神社、高千穂神社・・と、天照大御神天孫降臨の神話を巡る高千穂の旅に出かけました。

 

そして今年1月には、その続きとして、天孫降臨から山幸彦を中心に、霧島神宮豊玉姫神社青島神社鵜戸神宮宮崎神宮・・と、カムヤマトイワレヒコノミコト(=神武天皇)の誕生までを巡る日向の旅に出かけました。

 

1月の旅行記の最後は、後に初代天皇となられたカムヤマトイワレヒコノミコトとご両親を祀る「宮崎神宮」についてで、

宮崎の日向でご誕生になったカムヤマトイワレヒコノミコトが日本を治めるために、古代舟「おきよ丸」で美々津から東に向かって出航したことも書きました。

 

日本書紀』によると、東遷したカムヤマトイワレヒコノミコトは橿原で都を開き、西暦でいうところの紀元前660年2月11日に、初代天皇に即位したそうです。

 

ですので、2月11日が「建国記念の日」に制定されたのですよね。

 

神武天皇が、畝傍(うねび)山の麓に開いたとされる橿原(かしはら)宮の跡地に、明治天皇の勅令によって創建されたのが、この「橿原神宮」なのです。

 

神武天皇が実在した人物なのかどうかは確かではないようですが、

ここで神話の世界の神様が、天皇に即位なさって、日本国が始まったということです。

 

ということで、昨年からの神社を巡る旅の締めくくりとしても、「橿原神宮」にはどうしても行っておきたかったのです。

 

近鉄奈良駅から大和西大寺駅で乗り換え、橿原神宮前駅に到着しました。

 

静かな街をのんびり歩くと、第一鳥居が見えてきました。

 

砂利道に足を取られながらまっすぐ伸びる表参道を進みます。

 

第二鳥居です。

 

その先に大きな大きな南神門。

第一鳥居からこの南神門までは300mだそうですが、砂利が深くてそれ以上に感じました。

 

南神門の前には、美しい風景の深田池があります。

橋までの半周を散策できるようですが、お池の景色を眺めただけで、反対側に戻って南神門をくぐります。

 

ウワ〜、とにかく広大!!

奥の山が畝傍山ですね。

 

外拝殿です。

 

外拝殿の横には、美智子様の歌碑や、

 

さざれ石があります。

 

外拝殿からの参拝になりますが、内拝殿や

 

内拝殿の上から幣殿の千木が見えます。

菊の御紋が半分ほど見えていますね。

 

畝傍山を背景に、広大な敷地といい、一つ一つの立派な社殿といい、宮跡の威厳を感じる境内です。

 

御朱印を頂戴しました。

 

境内を出て、宝物館に併設されたカフェで、軽くランチをして帰路につきました。

 

“神の使い”が戯れる「春日大社」

「ふふ奈良」から「春日大社」は徒歩圏内。

チェクアウトをした後、そのまま荷物を預かっていただき、「春日大社」に向かいました。

 

志賀直哉旧居」の横から、

 

「下の禰宜道(しものねぎみち)」(通称「ささやきの小径」)に入ります。

ここからすでに境内になります。

 

その名のとおり、かつて春日大社の社家があった高畑から禰宜神職)が通った道で、

春日大社の二の鳥居まで続く500mほどの小径です。

志賀直哉をはじめ、高畑に住む文化人たちも好んで散歩をしたのだとか。

 

馬酔木の原生林が生い茂り、ほとんど人影もない静かな小径ですが、

ふふ・・・向こうから鹿ちゃんが来ていますね。

奈良の鹿は、春日大社の御祭神である武甕槌命タケミカヅチノミコト)が、茨城県の鹿島から、白鹿に乗って御蓋山(みかさやま)に降り立ったとされているため、

“神のお供”あるいは”神の使い”として、大切にされてきました。

 

二の鳥居の手前で表参道に合流します。

 

ズラ〜ッと石燈籠が並んでいます。

境内には、平安時代から現代のものまで約2000基もあるそうです。

 

南門です。

 

砂ずりの藤。

樹齢800年の古木で、花房が地面の砂にすれるほど長いので“砂ずり”なのですって。

 

ここからは、一人500円の特別参拝の領域になります。

 

 

春日大社は、全国に3000社余りある春日信仰の総本社です。

平安時代に非常に格式の高い神社として選ばれた「二十二社」の「上七社」の一つでもあります。

 

御神木の大杉。

 

至るところに燈籠があり、境内には3000基ほどあるそうです。

 

2月の節分と8月14日、15日には、すべての燈籠を灯す「春日万燈籠」というのがあるそうですが、

江戸時代まで神職の詰所であった「藤浪之屋」で、その万燈籠が再現されています。

 

神様が白鹿に乗って降臨なさったとされる御蓋山に向かって参拝できる「御蓋山浮雲峰遥拝所」。

御蓋山は現在も神域として、入山が禁止されています。

 

春日大社の御本殿は、「春日造」と言われる独特なものです。

切妻造の妻入りで、妻方向に庇が伸びています。

不届き者のバチ当たりですが、垣間見ることはできないかと、覗き見してみましたぁ。

 

御本殿をあとにして、のんびり散策しながら、一の鳥居に向かいます。

一の鳥居からの参道は、1.3キロあるそうです。

 

ウワ〜、自然ってすごいワ。

 

鹿せんべい待ちの鹿ちゃんたち。

 

現在、奈良公園を中心に、1300頭ほどの鹿が生息しているそうです。

 

一の鳥居に到着しました。

平安初期に創建され、現在のものは1638年に再建されたものだそう。

春日大社興福寺の境界として建てられたそうです。

 

御朱印を頂戴しました。

 

初代天皇を祀る「宮崎神宮」

1月末の鹿児島&宮崎の旅で訪れた神社で、もう一つ書いておきたい神社がありましたので、ここで書いておきます。

 

この神様の系図を覚えていらっしゃいますか?

 

まずは神様の系譜をちょっと復習しますね。

 

天の世界を統べる「天照大御神アマテラスオオミカミ)」はご存知ですよね。

 

その天照大御神の孫(=天孫)の「瓊瓊杵尊ニニギノミコト)」が宮崎県の高千穂に降臨なさいました。

 

瓊瓊杵尊の妻は、山の神の娘である「木花咲耶姫コノハナサクヤヒメ)」で、二人の間の子に「火遠理命(ホオリノミコト)」である別名「山幸彦」がいます。

 

山幸彦は、海の神の娘である「豊玉姫トヨタマヒメ)」と結婚して、「鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)」を出産します。

 

その鸕鷀草葺不合尊は、豊玉姫の妹の「玉依姫(タマヨリヒメ)」と結ばれて、「神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレヒコノミコト)」が誕生します。

 

つまりこの神日本磐余彦天皇は、“天”と“山”と“海”の神々の血を受け継いでいることになり、この神日本磐余彦天皇が、初代天皇の「神武天皇」なのです。

 

神武天皇は宮崎で生まれ、日本を治めるために東に旅立ったと言われています。

 

神武天皇を祀る神社としては、即位した地とされる奈良県の「橿原神宮」が有名ですが、

宮崎県にも、生誕地に鎮座する「皇子原神社」や、皇宮跡に鎮座する「皇宮神社」などがあります。

 

この時訪れた「宮崎神宮」は、皇宮近くに位置しており、都を中央に遷す東遷計画を策定した場所だとされています。

 

御祭神は、神武天皇である「神日本磐余彦天皇」で、

相殿に父親の「鸕鷀草葺不合尊」と母親の「玉依姫命」が祀られています。

 

一の鳥居。

 

いたるところに菊の御紋があります。

 

これは「おきよ丸」といって、神武天皇が東遷の際に、宮崎県の美々津から出航した古代舟です。

西都原古墳から出土した舟形埴輪を再現したそうです。

 

自然豊かな境内です。

 

二の鳥居。

 

神門。

扉には、大きな大きな菊の御紋があります。

 

拝所からお参りします。

 

奥には荘厳な社殿が見えています。

 

神武天皇とご両親の扁額が掲げられています。

菊だらけですね。

 

御朱印を頂戴しました。

 

これで本当に、1月の鹿児島&宮崎の旅行記は最後です。

 

“映え”と”パワー”で人気の「鵜戸神宮」

ここ最近「鵜戸神宮」は、“映えスポット”や“パワースポット”としての人気が高いようです。

青い空と海を背景にした朱色の拝殿を上から見渡せるとあって、まさに“映えスポット”。

 

それに加えて、奇岩に囲まれた断崖の

 

洞窟の中に御本殿があるのですから、“パワースポット”と言われるのも頷けます。

 

ただし今回は、山幸彦と豊玉姫を中心とした神社を巡るツアーです。

ですので、「鵜戸神宮」は、豊玉姫が出産をした場所ということに着目します。

 

天孫の子である山幸彦が、兄の海幸彦の釣り針を探しに海神の宮に行き、そこで知り合ったのが海神の娘である豊玉姫です。

豊玉姫は出産する時、“天孫の御子を海原で産むわけにはいかない”と言って、この洞窟にやってきました。

で、山幸彦に向かって、出産する時は本来の姿(サメともワニとも言われる)に戻るので、“絶対に見てはいけない”と言います。

でも、『鶴の恩返し』よろしく、やっぱり見ちゃうのですよね。

なもので、自分の姿を見られた豊玉姫は、息子のために洞窟に乳房を残して去っていくのです。

 

いわゆる「見るなのタブー」で、これは日本神話だけでなく、ギリシア神話をはじめ、世界各国の神話や伝説に出てきますが(メルシナ型神話)、そういう視点で神話を掘り下げていくと、さらに面白くなりそうですよね。

 

この時誕生したのが、初代神武天皇の父君になられる「日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)で・・・ふ〜、またまた長いお名前・・

鵜戸神宮」の主祭神です。

 

その後豊玉姫は、妹の玉依姫に息子の養育を託し、やがて二人は結ばれて、初代神武天皇がご誕生になるということです。

 

山幸彦の父親は天孫瓊瓊杵尊ニニギノミコト)ですが、母親は、山神の娘の木花咲耶姫コノハナサクヤヒメ)です。

ここに海神の娘の豊玉姫玉依姫が加わることで、

天・地・海のすべてを司る天皇が誕生した・・・なんて解説する書もあって、神話って本当に面白いです。

古事記日本書紀が書かれた時代に、どのような思想が影響しているのか・・・なんていうことを妄想するのも楽しいですよね。

 

豊玉姫が息子のために自分の乳房を置いていったとされる「お乳岩」。

 

乳房のような岩から、お乳のように水が滴っています。

ブラタモリ』によると、ただの水ではなく、コンクリーションによる石灰分を含んだ水なのだとか。

 

まぁ『ブラタモリ』に関しては、毎回「ほぉ、ほぉ」言いながら見ているだけで、地質学的なことはほとんど分かりませんが、

神社にしてもお城にしても、視点を変えると色々なことが見えてきて、興味が尽きません。

 

それにしても、“映えスポット”にふさわしく

 

見た目にも、

 

非常に美しい景観の

 

鵜戸神宮」でした。

 

御朱印を頂戴しました。