オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

続日本100名城「原城」

陸路だと、天草から雲仙までは、湾岸をグルッと回って、

NAVITIMEによると)300kmほどあり、4時間くらいかかります。

福岡からだと、天草と雲仙は反対方向で、

普通だったら同時に行こうとは思わない2ヶ所です。

 

それをわざわざ一緒にセッティングして、

そしてこの「原城」といえば・・・へへへ

 

今回の旅行は、まずこの「原城」があり、

「雲仙観光ホテル」もボチボチ営業しているみたいだから行ってみようか・・になり、

天草に新しく「天ノ寂」が出来たと雑誌にあったから一緒に・・・

と、「島原の乱(島原・天草一揆)」ツアーが誕生したというわけです。

 

 

原城」は、1599年から1604年かけて、キリシタン大名有馬晴信が築きました。

その後有馬氏は、1612年の幕府の禁教令で領民が弾圧されることに苛まれ、

自ら願い出て日向に移ったようです。

 

原城」は一時天領となり、その後松倉氏の支配となりますが、

松倉氏は、新たに巨大な「島原城」を築き、「原城」を廃城とします。

 

島原城」築城などによる重税やキリシタン弾圧、飢饉なども加わって、

天草の領民の一揆と島原の領民の一揆が一緒になり、

天草四郎を総大将に、廃城となっていた「原城」に籠城しました。

 

江戸時代最大の一揆の舞台となったわけですから、

島原の乱以降、「原城」は徹底的に破壊されてしまいます。

 

ということで、

知名度の高いお城ではあるのですが、

曲輪が残って整備されてはいるものの、想像力が必要な状態です。

 

平成30年に世界文化遺産登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の

構成資産になっています。

 

この付近に大手口があったようです。

 

この辺りが三の丸。

 

原城の中央部に位置して、一番広い曲輪の二の丸周辺。

 

あのあたりが本丸ですね。

所々に畑が見られますが、

登録前に、大掛かりな”開発” がされなくて良かったです。

 

当時の人たちもこの海の風景を眺めたのでしょうね。

 

本丸周辺には、石垣が遺っています。

本丸以外は土造りだったそうです。

 

本丸門跡。

 

最後まで籠城戦が行われた本丸跡。

多くの人骨や、十字架・ロザリオなどが出土したそうです。

 

美しい風景の中での凄まじい戦い・・・

 

幕府軍に内通した1人を除いて、老人、女、子供も含めて皆殺しだったとか。

 

続100名城スタンプが・・・・逆さまに押して押し直し〜。

 

御城印は・・・

自分で台紙にスタンプを押すか、華やかなものしかありませんでした。