唐津城から車で30分弱。唐津の旅2つ目のお城、名護屋城に到着しました。
名護屋城は、大陸侵攻を企てた秀吉が、国内の前線基地として築いたお城です。
天下統一だけでは飽き足らず、海を越えた国にまで手を出そうとした秀吉。
連日、ロシア軍のウクライナ攻撃が伝えられる中、複雑な思いで城趾を巡りました。
城域は、17万m2にも及び、当時は大阪城に次ぐ規模だったとか。
周囲には、全国から集まった諸大名の陣屋が150以上も建てられ、20万人を超える城下町ができたそうです。
秀吉の命で、わずか5ヶ月で建てられた城も、秀吉の死後は廃城となり、解体資材は唐津城に転用されたといいます。
また、一揆などでの立て籠りを防止するため、石垣なども破壊されたそうで、そのまま現在にまで残されています。
三の丸跡地
そして本丸跡地
ここが天守台
この天守台からは、穏やかな海の風景が広がっています。
こういう美しい風景を前にしても、海の先にある大陸への支配欲しか湧かなかったのでしょうか・・・
「太閤が睨みし海の霞かな」
以前にも、何度かこちらを訪れたことがありますが、これまでは、侵攻する側の視線で見ていました。
今回のウクライナ戦争で、侵攻される側の視点が加わり、とても複雑な心境で巡った名護屋城でした。
御城印と、日本100名城スタンプをいただいて帰路につきました。