「1600年 関ヶ原の戦い:(東軍)徳川家康 vs. (西軍)石田三成」・・・
学生時代に丸暗記した事項です。
そう。これだけ覚えておけば、当時の共通一次の日本史はOKでした。
学生時代の歴史の授業って、そんな感じでしたよね。
60歳を過ぎて、お城のことを調べるようになってから、
「関ヶ原の戦い」が、日本史の中でいかに重要であったかを認識しました。
「灯屋 迎帆楼」を出発した最終日に、まず向かったのが、岐阜県にある「関ヶ原」です。
緑が美しい山間部のまちです。
古くから東西・南北の主要な街道が交わる場所で、今なお東日本と西日本の境界地となっている場所・・・。
そういえば少し前に、「ブラタモリ」でも取り上げられていましたよね。
まずツアーが訪れたのは、笹尾山の石田三成の陣跡です。
島左近を前衛に配し、
柵を作って笹尾山を固めたそうです。
小高い丘(=笹尾山)を登ると、古戦場が一望できます。
このような陣取りになっていたようです。
笹尾山の頂にある陣跡の碑。
次に「岐阜 関ヶ原 古戦場記念館」を訪れました。
館内は撮影禁止でしたが、
展示室のほか、
画面いっぱいに映し出される映像に合わせて、座席が振動したり風が吹くというアミューズメントパークさながらのシアターもあり、関ヶ原の戦いを知ることができます。
ただ、迫力満点の映像を見ても、画面いっぱいに映し出される武将にはさほど関心が持てず、
米粒ほどの点でしか描かれていない名もない兵士たちの人生や、彼らの妻や母親の人生に思いを馳せてしまったオババです。
建物の5階は展望室になっていて、
古戦場全体が見渡せるようになっていました。
記念館の裏手にある陣場野公園には、
徳川家康最後陣地跡や
家康が首実検を行ったとされる床几場があります。
400年以上も前の天下分け目の戦いの跡地を訪れ、
今なお世界で繰り返されている覇権争いや戦争に思いがおよび、
なんとなくドヨヨンとした気分で関ヶ原をあとにしました。