同行する専門家の先生と昼食のテーブルを囲んだ後、
家康をたどるツアーは、浜松に向かいます。
「浜松城」を訪れる途中で、「三方原(みかたがはら)古戦場」に立ち寄りました。
上洛を目指していた武田信玄の2万5,000余の軍を阻止しようと、
1万1,000の徳川家康軍が激突した場所です。
現在は、碑が建てられています。
家康は惨敗し、九死に一生を得るかたちで浜松城に逃げ帰りましたが、
この戦に敗れたことが、その後の家康に大きな影響を与えたと言われてます。
そしてツアーが訪れたのが「浜松城」です。
「浜松城」は、家康が武田氏の侵攻に備えるための本拠とするために築城されました。
元々は今川貞相の「曳馬城」があった場所ですが、
「曳馬→馬を曳く=敗北」で縁起が悪いとして、地名も含めて「浜松」に名称変更したそうです。
家康自身もこの「浜松城」が人生の大きな節目になりましたが、
家康が「駿府城」に移ってからは、次々と城主が入れ替わり、幕府の要職につく城主が多かったことから、
「浜松城」は「出世城」と言われるようになったのだとか。
浜松城の見どころは、なんと言っても石垣ですね。
野面積みの美しい石垣がズズズ〜ッと続いているなぁなんて思っていると、
あらまぁ、こんな看板がありますよ。
ウンウン、引き抜きたくなる気持ち、よ〜く分かりますよ。でもダメですからね〜。
本当に美しい石垣です。
逆光でお顔がよく見えませんが、徳川家康の像。
駿府城の家康が大御所時代の家康に対して、
こちらは若き頃の家康像だそうです。
スラ〜ッとして、晩年の像とはずいぶんイメージが違いますね。
こちらは天守門。
明治6年に解体されましたが、平成26年に復元されました。
昭和33年に再建された天守閣。
元々は五重天守だったようですが、財政面のこともあって、当時の2/3ほどの面積での再建なのだそう。
横から見ると、天守台の大きさに対してアンバランスに、ちょこっと建っているような感じがしますね。
しかも史料が残っていないため、福井の丸岡城をモデルにしているのだそう。
・・・ということで、現存天守であれば頑張って登るのですが、
足場が悪いこともあって、オババはここでリタイア。
ツアーの皆さんと離れ、一人のんびり石垣を眺めながらバスに戻ります。
続日本100名城スタンプを押し、
御城印を購入しました。