知覧城は、平安時代末期に、
この地を統治していた知覧氏によって築城されたと言われています。
知覧は、
室町時代に足利尊氏の命によって、島津家の分家の佐多氏に与えられ、
一時期、伊集院一族の配下になったこともありますが、
幕末まで、佐多氏が治めました。
シラス台地に造られたお城ということで、
その特徴を残す空堀なども遺っているようですが、
山登りの遺構探しが苦手な "エセ" お城ファンですので、
「ミュージアム知覧」でのお勉強に留めました(笑
現在の知覧城跡の様子です。
これは当時の様子です。
模型だとよく分かります。
その中心にそれぞれ、城のような役割を果たす「麓(ふもと)」を置いて、
鹿児島城を中心とした薩摩藩独自の外城制度を築きました。
その外城の一つが知覧だったというわけです。
知覧城自体は、一国一城令が発令される直前に、火災で廃城となりましたが、
知覧城の北側に「麓」が置かれ、佐多氏が治めました。
18代当主佐多久峰が、藩主の参勤交代にお伴した際、
京都の文化を持ち帰ったと言われていて、
現在の武家屋敷群は、”薩摩の小京都” として、
観光客にも人気のスポットになっています。
昨年訪れた時の投稿でも書いていますが、
本馬場通りも攻撃を受けにくいように、湾曲して造られていたり、
(これは昨年訪問時の写真ですが)
門の先には屏風岩といわれる切石があって防衛の役割を果たしています。
左右の石垣が、家の格式によって、玉石だったり切石だったりと異なるところも面白い点。
お屋敷の庭園が美しいことでも有名で、
7つの庭園が国の名勝に指定され、一般公開されています。
現在も子孫の方がお住まいのお宅が多いそうですが、
一般公開されている7つのお庭のうち、3つが佐多家です。
知覧城の山登りはしませんでしたが、スタンプだけ押してきました。
相方さんからは、お城めぐりではなくスタンプ集めだと揶揄されています。