オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

日本100名城「岩国城」と「錦帯橋」

山口旅行の初日に、

博多からまっすぐ岩国に行き、

岩国城」と「錦帯橋」を訪れました。

 

5年ほど前に来た時は、

100名城スタンプを集め始める前でしたので、

今回は、スタンプをゲットするのが大きな目的です・・・が、

 

錦川から岩国城周辺というのは本当に美しく、

(前回写した写真です)

錦帯橋も含めて、もう一度来たかった場所なのです。

 

ただ、この日は非常に風が強く、

山頂にある天守までのロープウェイがストップしていました。

ですので今回は、

山の麓の居館(大土居)があった場所を中心に散策しました。

 

岩国城は、関ヶ原の後に移封した吉川広家によって、1608年に築城されました。

横山の山頂に四重六層の天守が築かれ、

 

山の麓に、居館である大土居が置かれました。

 

ところが、完成からわずか7年後に、一国一城令が出されます。

天守は破却され、大土居は陣屋として存続することになりました。

 

現在の天守は、1962年に再建されたものですが、

実は、本来の天守台はもう少し奥にあったのです。

(前回の写真です)

 

再建する時に、下からも見えた方が良いよねということで、

50m手前に移動して建てられました。

その結果、

今ではこうして下からも眺められるようになりました。

 

一応、前回写したお城の写真も載せておきますね。

3階よりも4階が、5階よりも6階が大きく、

「南蛮造」と呼ばれる変わった造りになっています。

 

これも前回の写真ですが、

天守から見下ろした錦川と錦帯橋です。

 

さて、麓の居館(大土居)ですが、

 

廃藩置県で建物は解体され、

現在は公園として整備されています。

 

歴代の領主を祀る「吉香神社」。

 

明治になって、当時の櫓に似せて造られた「錦雲閣」。

吉香神社の絵馬堂として建てられました。

 

これは「岩国徴古館」。

戦時中に建てられた博物館で、

 

内部は岩国市の歴史資料館になっています。

 

岩国城を築城した吉川広家像。

山頂の天守が一緒に写せるようになっています。

 

山口県文化財になっている「香川家長屋門」。

錦川の内側には、上級武士の屋敷がありました。

 

錦帯橋の架橋に貢献した3代領主吉川広嘉像。

 

錦川に架けられた橋は、洪水で何度も流失を繰り返し、

流れない橋造りが模索されていました。

そんな時、広嘉の持病の治療に呼ばれた明の帰化僧を通じて、

西湖の5つの島にかかるアーチ橋を知り、

5連のアーチ橋が造られることになったそうです。

 

現在の橋は、橋桁基礎にコンクリートを用い、

昭和28年に建設されたとのこと。

 

本当に美しい橋です。

 

今回はロープウェイが止まっていたため、

100名城スタンプは、ロープウェイの山麓駅に置かれていました。

 

御城印は、岩国徴古館の事務所で購入しました。