オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

日本100名城「津山城」と ”中国山中の小京都” 津山

今回の岡山旅行は、津山を訪れたくて計画しました。

 

100名城の「津山城」や、

"中国山中の小京都” と呼ばれる城下町はもちろん、

かつて出雲街道の宿駅が置かれていたなんて聞くと、

行かなくちゃ!!ってなりますよね。

 

津山城は、もともと山城があった場所に、

江戸時代になって入封した森忠政によって築城されました。

森忠政は、”あの”森蘭丸の弟だそうです。

(あのってどの?と言われそうですが、

信長の元で活躍した”あの”森蘭丸です)

 

森氏4代の後、松平氏9代によって治められましたが、

明治の廃城令で、建物はすべて壊され、石垣のみが残りました。

 

下から見えるこの建物は、

平成17年に再建された備中櫓です。

 

残った石垣が、津山城の特徴を伝えてくれています。

 

総石垣で、三段、四段と、雛壇のように重ねられて曲輪が作られていて、

「一二三段」と呼ばれています。

 

こちらの図の方が分かりやすいでしょうか。

 

これらの案内図は、

津山観光センターがある入口から、

 

階段を登った場所にあるのですが、

 

階段を登った先にあるのは、

三の丸の石垣で、

 

この横に、城跡への入口があります。

 

ところが、そうなのです。

以前投稿したとおり、訪れた時は、

梅雨末期の豪雨で石垣の一部が崩落し、

休園だったのですよねぇ。

で、非常に残念ではあったのですが、

お城訪問はここで終了。

 

幸いなことに、

宿泊したお宿がお城のすぐ近くにあり、

部屋のテラスから、備中櫓や、

 

雛壇の石垣をしっかり見ることができました。

 

ビニールシートがはられているのが、

崩落した場所なのでしょうね。

 

お宿のロビーには、

CGで復元した津山城も展示されていました。

 

ということで、

津山城の入口までしか行けませんでしたが、

ちゃっかり観光センターでスタンプをゲットしました。

 

梅雨明けすぐの強烈な陽射しが降り注ぐ猛暑の日でしたので、

入口で引き返したのは、逆に良かったのかも・・・とは負け惜しみ。

 

とにかく暑い日でしたので、

観光センターから観光タクシーをお願いしてもらい、

楽しみにしていた出雲街道(城下町)も、

ほとんど車内から眺めての観光でした。

 

これは、かつての商人町の街並み。

 

箕作阮甫旧宅に立ち寄りました。

 

幕末に活躍した藩医であり、洋学者であった箕作阮甫の生家だそうです。

 

「津山洋学資料館」も見学しました。

館内は撮影禁止でしたが、

蘭学を中心とした、幕末の資料が展示されていました。

 

今回は、津山城の閉園と酷暑で、

当初予定していた散策はできませんでしたが、

観光タクシーに切り替えたことで、

「旧津山扇形機関車庫」にも行きましたし、

 

渋野日向子が通った作陽高校なんかを見たりして、

それなりに楽しめました。

(高校は別の場所に移転してしまったそうです)