オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

オババの人生懐古

昨年の山陰旅行の記事を書き終えたところで、今日は、トラベルジャーナルから完全に脱線して、オババの人生を語ってみたいと思います。

 

というのも、今回の山陰旅行では、たまたまシニア女性4人の、しかも全員一人参加というツアーになり、夕食後ラウンジで、夜遅くまで、お互いの人生に触れる話で盛り上がったのです。

お互いに、どこの誰かもわからないからこそできた話・・・

それぞれが自立心旺盛で、一生懸命生きてきたからこそのオバサンズトークでした。

 

まぁ、他の3名は、都会で生活していらっしゃいますし、オババとは比べようもないリッチな方々でしたが・・・。

ただ皆さん、自分の足できちんと自分の人生を生きてきた方ばかりで、そういう意味では、オババも仲間に入れてもらえそうです。

 

オババは、他の方々のように、億単位の超高級高齢者施設に入る余裕はありませんが、不相応な贅沢さえしなければ、誰にも迷惑をかけることなく人生を終えられるかなぁ・・・と思っています。

親の遺産が入ったわけでもなく、投資で儲かったわけでもなく、100%オババが労働の対価として得た・・ということが、オババの誇りでもあります。

 

でもオババは、人生の中で、お金を追い求めたことはないのですよね。

オババは、興味がないことにもコツコツ取り組むといった才能は皆無!!でしたが、興味を持ったことには、莫大なエネルギーを生じさせる能力があったようです。

 

例えば、結婚直後に、時給2,000円の非常勤講師の仕事を得ました。

準備をするうちに面白くなって、専門書などを読み漁り、どうしたら自分が感じた面白さを伝えられるかと一生懸命取り組んでいたら、時給が11,000円になっていました。

まぁ、バブル期ならではの話ですが。

 

また、結婚と同時に、社会学系の学問に興味を持ち、当時は日本の大学で学べる場所がなかったので(非常勤で得た資金で)単身アメリカに留学しました。

ただただ面白くて、帰国後も大学院の授業を聴講をさせてもらったり、研究室で勉強させてもらったりしていると、突然専門職の仕事が舞い込んできました。

 

本当に、時代が良かったのでしょうし、運も良かったのだと思います。

英会話スクールに通ったら、そのスクールから教えないかと声がかかったり、

カルチャーセンターに通ったら、何か教えるものがあったら講座を開かないかと言われたり・・・。

 

相方さんの仕事を手伝うようになってからは、質・量ともに、能力の限界を超える仕事を処理していかなくてはなりませんでしたので、苦しさの方が大きかったように思います。

ただ、相方さんが、自分の専門以外は、経営を含めたすべてをオババに任せてくれたので、そのことにはとても感謝しています。

相方さんは完全にノータッチを通しましたので、誰の事業なの!私だって自分の専門分野の仕事を続けたかった!とブチギレることも多々ありましたが、

自分の判断で大きな事業を動かすのは、本当に面白かったです。

 

オババが引退してからは、相方さんがせざるを得ない仕事が増え、その上で新たに事務長と事務員2人が増員され、さらに相方さんのお姉様にも手伝ってもらっているようです。それでもうまくいかずに、いつもブツクサ言って、オババにアドバイスを求めてきたりしています(昨日もね)。

オイオイ、オババはそんな大勢分の給与はもらっていなかったゾ!なんて思いますがね(笑

 

そんなこんなで迎えた60歳。

自分で選んだリタイアメントでした。

大きな贅沢はできないにしても、一人になっても、細々と身の丈に合った人生を続けていけることを幸せに思います。

若い頃に大きな病気を経験しながらも、こうして行きたい場所に行ける身体と自由があることを嬉しく感じます。

・・・なぁんて言って、旅行で老後資金を使い果たして貧困に陥ったら、その時は笑ってくださいな。