オババのトラベルジャーナル

社会生活からリタイアした有閑オババの隠居旅。ちょっと素敵なお宿に泊まって、のんびりお城や神社を巡ります。

“越中富山の薬売り”

今日は富山での、ちょっとマイナーな観光について、オババ自身のことにも触れながら書きたいと思います。

 

オババ自身は、完全な文系人間ですし、医学よりも倫理学に興味を示します。

ただ環境的に、周囲に医学信仰者(医学至上主義者?)が多かったものですから、

(進路で文系に進んだ時は、両親から「文系とか行って何になる!」と大反対されましたし、当時の共通一次で化学を選択しなかったことに、父から「化学を学ばずに大学に行く必要はない!」と殴られた経験もあるほどです・・・それでも文系に進み、入試では生物と地学を選択したオババですぅ・・笑)

まぁ、そんな環境もあってか、富山と言ってまず思い浮かぶのが、五箇山でもなく、トロッコでもなく、「薬売り」なのですよね。

 

今でも富山は、人口当たりの医薬品生産金額や、医薬品製造に従事している人の数は、全国1位だそうです。

 

富山市内で、「薬種商の館 金岡邸」に立ち寄りました。

金岡家は、江戸末期から薬種商を営み、そこから製薬業だけでなく、電気事業や金融業をはじめ、さまざまな分野に寄与し、富山の経済基盤を作り上げたそうです。

 

明治初期の様子を伝える店舗。

壁一面にある百味箪笥は、1860年のものだとか。

 

看板の数々。

 

仁丹の看板は、何となく見覚えがあるような気がします。

 

生薬の数々。

 

中国や東南アジアから輸入されたものも多かったそうです。



製造道具の数々。

 

こちらは総檜造りの新屋。

当時の薬種商は、資本家として、金融界や政界にも影響があったそうで、この新屋は、迎賓の場として建てられたそうです。

 

見事な造りで、

金岡邸には、明治天皇も御休憩に立ち寄られてたのだそう。

 

実は、金岡邸を見学していて、オババの遠い昔の記憶が蘇ったのですよね。

子供の頃に数えるくらいしか訪れたことがなく、すでに形もなく、普段の記憶からは完全に消え去っていた母の実家の記憶が。

百味箪笥や、製造道具に、店舗を構えた日本家屋・・・。

 

これまで思い出すことがなかった記憶ですが、断片的に突然蘇ってきて、とても不思議な感覚を体験したのデシタ。